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委員会発言集

第151回国会
 衆議院 文部科学委員会議録 第十五号


平成13年6月5日(火曜日) 午前10時開議

 ===== 谷本代議士の質疑応答部分(20分)を抜粋しています。 =====

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷本龍哉君。
谷本委員 自由民主党の谷本龍哉でございます。二十分という短い時間でありますが、風邪気味で少し聞き苦しいかもしれませんが、お許しいただいて、質問させていただきます。
質問に先立ちまして、一点、遠山文部科学大臣に確認したいことがございます。大臣、憲法第六十八条を御存じですか。

遠山国務大臣

第六十八条、「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。」総理大臣の任命権についての規定でございます。

谷本委員 その先を読んでほしかったのですけれども、繰り返しますが、第六十八条、「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。」過半数は国会議員ということでありますから、半分より少ない数は民間でいいという規定でございます。当然の、当たり前過ぎる話であります。

また、我が国は間接民主主義でありますから、国民が国会議員を選び、国会議員が総理大臣を選ぶ、そしてその総理が国務大臣を選ぶという流れになっております。国会議員は、当然、民意を受けて選挙で選ばれます。そして、その国会議員が総理を選ぶことで、これは民意を継続するという基本になっております。そしてさらに、その総理が自分の全責任のもとに大臣を選ぶということは、各大臣にも民意が及ぶということであります。これが間接民主主義の基本であります。皆さん御存じのとおりでございます。

大臣は、民間の御出身でありますけれども、日本国憲法の規定と間接民主主義の理念にのっとって選ばれた以上は、日本国民の民意を受けた大臣であり、総理大臣同様にそれだけ重い責任があるということをもう一度再確認していただいて、決意のほどをお伺いしたいと思います。
大きな声でしっかりと自信を持って言ってください。お願いします。
遠山国務大臣 内閣総理大臣の任命権の行使によりまして、私は文部科学大臣の職を務めることになりました。お話のように、民意を十分に受けて、そして閣僚の一人として、国民に対し責任を十分に果たしてまいりたいと考えておりますので、御指導方よろしくお願いいたします。
谷本委員 どうもありがとうございます。その決意を受けまして、質問に入らせていただきたいと思います。

教育関連三法案に対して、私のもとに非常に多くのはがき、電報、意見書が届いております。恐らく、これは文部科学委員全員のところへ届いているのだろうと思います。しかしながら、ある特定の団体からのものがほとんどであります。

それに対して、私も毎週末、土日は地元に帰りまして、各地区でミニ集会を極力たくさん開くようにしております。そういう中で、小さなお子さんを持つお母さん、お父さんからも、この教育改革についていろいろなお話を、こちらからも説明させていただき、また皆さんからもいろいろな意見を伺っております。
その中で、私の周りでは、今回のいろいろな改革案に対しまして反対という声はほとんど聞いておりません。逆に、もっと厳しい法律をつくってほしい、そういう声さえかなり多くあるぐらいでございます。

ですから、たくさん届くこの反対のメッセージというものが、必ずしも国民全体の民意をあらわしているとは私は思いませんけれども、ただ、これだけ熱意を持って反対されますと、その反対意見も念頭に入れた上で質問させていただきたいな、そういうふうに思います。

まず、教育における競争というものについてお考えを伺いたいと思います。

いろいろな意見書の中で、過度の競争が教育荒廃の根源である、こういう意見をたくさん書かれております。だから、今回の三法案に対しても、競争を助長する、そういう側面があるから反対だという意見が寄せられております。確かに、受験戦争というものには一部行き過ぎもあるとは思います。ただ、そこに教育荒廃のすべての原因があるというのは少し無理があるのではないかと私は考えております。

それでは逆に、教育における競争というものをすべて排除すべきなのか、私はこれに対しては反対の意見を持っております。四文字熟語に切磋琢磨という言葉がございます。お互いに磨き合い、競い合い、高め合うことによって人間性を向上させる、これは教育に限らず、人間として成長する上で重要な要素ではないかと私は考えております。

教育において重要なのは、順位を全くなくして、つけなくしてしまったり、あるいは結果というものをあいまいにすることではなくて、順位や結果というものが出たときに、その意味を正確に教える、あるいはその結果とのつき合い方をきちんと教えることが一番重要だと私は思っております。その結果が、例えばいい結果であれば褒めてあげるのもいいでしょう、また悪ければ励ますのも大事だと思います。ただ、その結果一つをとって人間というものの価値がすべて決まるんじゃないんだよ、そういうことをきっちり教えていくことが教育において重要ではないかというふうに私は考えております。

例えば、徒競走で順位をつけないというような事項がございました。これに対して、これは、私から見れば教育ではなくて教育からの逃避ではないかと思います。たとえ徒競走などで順位があったとしても、その意味をきちんと教える。つまり、一番の子には例えば褒めてやる、一番になれなかった子には励ます。そして同時に、足が速いから人間として一番じゃないんだよ、足が遅いから人生が終わるわけでもない、そういうことをきっちり教えていくことが重要だと私は考えております。

さらに、学芸会の演劇で、主役とわき役があるのはかわいそうだという御意見も伺いました。しかし、これは私は少し意見を異にします。この考え方の前提には、主役はいいものであってわき役はだめだ、そういう発想があるように私には感じられるんです。本来、主役であってもわき役であっても、あるいは大道具係でも小道具係でも、ひとしく大事な役割なんだ、そういうふうに教えるのが教育ではないかと考えます。

お互いにいろいろな面で競い合いながら、失敗というものも何度も経験しながら、一番になってもおごることなく、また失敗してもくじけない、そういう人間を育てることが重要だと考えます。

最近の青少年の、若者の犯罪、こういうもののニュースを見ていますと、若い、あるいは子供のときに、こういう体験、失敗する体験とか、そういうものがかなり不足している。そのために、一回でも失敗をするとキレてしまったり自暴自棄になってしまう、そういう人がふえているんではないかと私は危惧をしております。

教育における切磋琢磨のあり方について、大臣、副大臣の見解をお願いいたします。
遠山国務大臣 今御指摘のお話は、私は大賛成でございます。

教育にとって、児童生徒が、画一的な教育あるいは機会均等ということで結果的な平等だけを求めるのではなくて、一人一人がその個性を発揮して、その能力を発揮して、十分に伸び伸びと生きていく、そういう力を与えるというのが教育ではなかろうかと思います。したがいまして、例に出ました徒競走の話あるいは学芸会における役の話、そういうそれぞれの人が持っている特色を発揮させて、その結果についてよいものは褒め、しかしそれがすべてではないよという今の御指摘、私はそのとおりだと思います。

歴史的に見ますと、日本は戦後の教育、やはり追いつけ、追い越せということで、画一的な教育というものがいろいろな問題をはらんできたとも指摘されております。そんな中で、これからは、本当に一人一人がその能力ないし意欲というものを発揮させて、十分にその特色を伸ばしていく。個に応じたきめ細かな指導を行っていくということで、いろいろな価値を人間は持っているのだということを互いに認め合う、そのことが今の学校に課せられた大きな課題ではなかろうかと思います。
岸田副大臣 私も、よい意味での競争、大変重要だというふうに思っています。子供たちが意欲を持って学ぶ、あるいは人類の進歩そのものにとりましても、よい競争というもの、大変重要だと考えております。

子供たちがそれぞれ、自分たちが認められたいという願望の中で、よい競争を活用することの意義を感じるときに、こうした物差しをたくさんつくる等、よい競争が多様な個性や能力を伸ばす結果につながるようなシステムをつくっていくことの重要性を強く感じているところでございます。
谷本委員 済みません、通告では大臣、副大臣でしたが、政務官、もしお考えがあればお願いします。
池坊
大臣政務官
私はお花をしておりましたけれども、人の心を打つお花というのは、そのものが持っているすばらしさを引き出し、それを最大限に活用したときに、人の心を打つ花を生けることができます。お花でもそうなんですから、人間もまさしくそうではないかと思っております。差異があればこそすばらしいのであって、そのそれぞれが持っているすばらしさを見つけ、それを引き伸ばすことが大切だと思っております。
谷本委員 それぞれの御答弁、どうもありがとうございました。

私自身、確かに、勉強ばかりに偏って競争していく、それだけで価値を決めていくということに対しては反対でありますけれども、だからといって、逆に極端から極端に走って、すべて順位づけをしない、結果を隠してしまう、そういう形では真の教育というのは成り立たないと私も考えております。今いただいた答弁のとおりに、行政の方をしっかりとやっていっていただきたいと思います。

次に、教育を受ける権利と出席停止について質問をさせていただきます。

当たり前のことでありますけれども、学校というのは勉強をするところであります。たまにこれを勘違いしている人もいるらしくて、これは私は聞いた話でありますけれども、ある日小学校に、児童の母親が職員室へやってまいりまして、非常に怒っている。何を怒っているのかなと思って、学校側が対応に出て聞いてみたところ、うちの子は家でとんでもなく行儀が悪い、一体おたくの学校ではどんなしつけをしているのだというふうにお母さんが怒って来られたという話を地元で伺ったことがあります。

しつけのことまで学校ですべてというのは、これは逆に学校側にとって酷な話だと思いますけれども、そういう部分は除いたとしても、最低限学校というところは、やはり勉強という部分は、きっちりと教育というのは教える場所であるというふうに思います。だから、すべての児童生徒が教育を受ける権利を持っている、これは当然のことであります。

そこで、この法案の中でも問題になっております、問題行動を起こす生徒に対して出席停止という措置をとる、要件を明確にするという中で、当然この問題行動を起こす生徒にも教育を受ける権利があるわけです。

ただ、そこで忘れてはいけないのは、同時にそれ以外の生徒たちにもひとしく教育を受ける権利があるということだと思います。これは、学校に来て教室の中で座っているという権利ではありません。きちんとした授業をその場で受けるという権利がすべての児童生徒にあるということだと思います。

日本においては、刑法や刑事訴訟法で犯罪被害者の問題というのがございます。今まで犯罪者の方の権利というのは、非常に人権というのは重要視され、当然重要視しなければいけないのですけれども、きっちりと法律の中にも書き込まれてきた。しかしながら、犯罪被害者という方たちの権利がおろそかになっていた。最近それは改善されつつありますけれども、このように一方だけに、片方だけにスポットを当てて考え過ぎると、もう片方のことがおろそかになるということは多々あることだと思います。

そういう意味で、問題行動を起こす生徒、その権利、あるいはどういうふうに処遇するか、これも非常に重要です。このこともきっちりと議論をし、決めていかないといけないと思います。ただ同時に、それ以外の生徒の教育を受ける権利というのをどういうふうに守るかという部分、このバランスを決して忘れてはいけないと私は考えております。  
そういう意味では、今回の出席停止制度の改善というのは、あるべき方向であると私は思っておりますけれども、先ほども言いましたように、それだけ権利を制限する内容ですから、要件、どういう場合にその出席停止があるのかというのをきっちりと明確に示していただきたいということと、それと同時に、その問題行動を起こした生徒に対して、やはりこれも教育の一環ですから、他人の権利というものを侵害する自由はないのだということを、しっかりその機会に教えるような形をとっていただきたいということ。
 
それともう一点、出席停止期間においては、当然学校で指導するわけではありませんから、家庭にいる生徒を指導するわけですから、従来の先生方の数で十分対応できるのかどうかという問題は残ると思います。そういう意味での、手厚くそういう出席停止の生徒の対応をするという意味では、人的な要素、人的な充実というものも必要だと思うのですが、その点についてどのようにお考えか、伺いたいと思います。
岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、この制度の趣旨、要は問題のある生徒を適切に指導するとともに、それ以外の生徒の学ぶ権利を確保する、このバランスをしっかり考えていかなければいけないという認識でおります。

その上で、今、人員等適切な対応ができるのかどうか、そういった御指摘がありました。出席停止に係る児童生徒につきましては、出席停止期間中、当該保護者や児童生徒の状況等を踏まえて、一つは学級担任等の教職員が家庭を訪問し、学習課題を与えて指導したり教育相談を行う。また、さらには関係機関と連携して、その専門職員の協力を得て指導を行う等の取り組みを行うわけです。こうした取り組みによって、当該児童生徒の悩みや不安を受けとめる一方で、規範意識を持たせるよう努める、こういったことをやるわけであります。
 
その際に、やはり人的な部分で十分かという問題が出てくるわけですが、従来から学校において行っております生徒指導担当教員等の加配に加えまして、平成十三年度から各県二名程度の教員定数の上乗せをするということになっております。こうした上乗せをすることによりまして、今申し上げましたような対応において人材の確保がされるというふうに考えておりますので、こういった面からもしっかりとした指導が行われるように努めていきたいと思っております。
谷本委員

児童生徒の権利を制限する内容ですので、その対応においては十分に検討、議論をいただいて、決して学校からの排除というような形にならないような取り扱いをきっちりしていただきたいというふうに思います。

最後に、反対意見書の中で言うところの強制的奉仕活動という部分についての、これは強制的かどうかというのは非常に難しい問題だ、私は強制的というのはおかしいとは思いますけれども、反対意見書にはそのように書かれておりますので、この部分についての質問をさせていただきたいと思います。

義務教育というのは、憲法の二十六条に定められているとおりであります。これは決して自由ではありません。義務規定であります。日本国民として最低限の教育をすべての人が受けられるようにということで、義務規定となっておりますから、そういう意味では、強制的な部分というのは、当然、義務教育自体にある部分は否めないと思います。

その教育の中で、昨今の子供たちに何が一番欠けているのかというものを考えましたときに、私は、これは一般にも言われていることですが、生活環境や社会環境というものが激変したために、失われてしまった生活上のいろいろな体験というもの、これが一番欠けているのではないかというふうに考えております。  

先日、三名の中学校の先生方、これはそれぞれ異なる中学校の先生方から教育現場の実情を聞く機会を得ることができました。その中で、三人の先生が口をそろえておっしゃっていたのは、今の中学生は実体験が乏し過ぎると。クラスの大半の子がマッチをうまくすれないとか、あるいはスズムシやコオロギを見てもゴキブリだと言う。こういう現状を聞くに当たって、教育の中で、ただ机上の授業だけではなく、さまざまな現場へ出ての体験というものが非常に重要だというのを改めて痛感いたしました。

一部意見書では、奉仕体験活動は国家に奉仕する国民の育成につながる、そういう極端な意見もありまして、それにより反対という意見がございますが、生まれながらにして、聖人君子で、向上心があって、公共心にあふれて、そういうすばらしい人間、生まれながらにすばらしい方ばかりならいいのですけれども、人間というのは、私も含めて、大抵はいろいろな経験を積みながら成長していくものだと私は思います。そういう意味で、今まで知らなかったものを肌身で体験する、あるいは実際の現場に触れることではぐくまれる心というものがきっとあるのだと私は思います。

この奉仕体験活動の導入に対して私は大賛成ですが、その具体的な推進の方法、受け入れ先等はどうするのか、あるいは先生によって大きな差が出てこないのか。そういう部分についての具体的な推進方法をお伺いしたいと思います。

池坊
大臣政務官
委員がおっしゃるように、社会奉仕体験活動というのは、子供にとって大変重要なことではないかと思います。そのためには、学校教育、社会教育の関係者だけではなくて、円満に行うために、地域社会とかいろいろな方々の協力が私は必要なのではないかと思います。

具体的にはどうするかというお話でございますが、文部科学省では、学校、PTA、教育委員会、青少年団体とが連携し、協力し、社会奉仕体験活動に取り組むモデル事業として、学校と地域を通じた奉仕体験活動推進事業というのを実施いたしております。これは、十三年度に九千二百万の予算もつけておりますし、全国で七十二地域、年間七日間ぐらい子供たちをというふうに思っております。

また、民間の力といたしましては、この間皆様方に法案を通していただきましたゆめ基金で、民間の方々への助成、それによって意識を高めていけたらというふうに思っております。  

また、情報が集まりませんと何にもなりませんので、子どもセンターの整備、これは千カ所を考えております。これによって、いろいろな子供の体験活動の情報を集める。また、百九十二校で今実施することにいたしておりますのは、高校生の介護、保健体験等を推進するための学校教育における体験活動等総合推進事業を実施することといたしております。

また、四月十一日の中教審では、総合的に社会奉仕活動をするにはどのような方策があるかどうかを検討していただくこととしております。
谷本委員 時間ですので、以上で質問を終わります。

 

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