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言葉の軽さ、責任の重さ
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06.3.7 |
| ・・・「堀江メール問題」の本質 |
衆議院予算委員会での民主党議員の質問に端を発した
「送金指示メール問題」が一応の決着を見ようとしている。
与党側を追い込むはずだった疑惑追及が、その根拠と
なった情報の信ぴょう性のなさから、逆に質問者と所属
政党を大きく傷つける結果となった。
この2週間余り続いた騒動の本質を改めて考えてみると、
単に一議員の資質の問題や特定の政党の未熟さの問題
として片付けてしまってはいけないと、私は感じている。
確かに、国会という公の場で、個人を名指しで非難する時
には、100%の証拠はなくても、周囲を納得させられるだ
けの裏付けが必要なことは言うまでもない。また、政党は、
所属議員の質問内容についてしっかりと把握し、間違い
があった時には速やかに対応すべきである。
今回の問題では、この2点が共に欠けていたわけで、非難
されて当然だろう。
しかし私は、この問題の根底には、特定の個人、特定の
政党という枠を超えて、昨今の政治全体に顕著に見られ
る「テレビ偏重型」の風潮があるように思えてならない。
「とにかくテレビに出れば有名になって選挙が強くなる。」
「テレビに出れば能力のある議員に見える。」「ワイドショー
やバラエティー番組に出演して、声高に、無責任に、言い
たい放題発言した方が人気が出る。」
政界全体ではないが、少なくない部分に流れるそういう
風潮が、政治家の言葉を軽くし、その責任の重さを忘れ
させてしまっているのではないだろうか。とにかく目立ち
たい。テレビに映るような活動をしたい。その思いが今回
のような問題につながったのではないか。
もちろん、政治家にはマスコミ対応能力も必要である。
時には説明責任を果たすためにテレビに出ることも大事
だろう。しかしそのことが本来の仕事ではない。地道で
目立たなくてもしなければならない重要な仕事は山ほど
ある。今回の問題を契機に、政治家全員が、自らが発す
る言葉の重さ、そしてそれに伴う責任の重さを、もう一度
考え直さなければいけない。
和歌山新報2006年3月7日 「がんばってます」 掲載
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